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zoom RSS 大河ドラマ『平清盛』第49回『双六が終わるとき』

<<   作成日時 : 2012/12/23 17:28   >>

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最終回まであと一回。ここまで長かったような、短かったような。いや、やっぱり一年早かったですね。もうすぐ物語が終わると思うと感慨深いです。
見直さないで感想を書いたので、間違ってるところがあるかもしれないですが、ご覧くださいませ。

今回のサブタイトル、すごくいいなと思いました。何度も登場した双六の場面ですが、今回で双六が最後になってしまうのか、どういう終わり方なのか、とても気になるタイトルです。このドラマの終わりをうまく表現してると思いました。

病床の高倉上皇と徳子のやりとりになぜか泣けました。そんなに強い印象があったわけではない二人ですが、この場面で今までの仲の良さを連想できたので自然に感情移入したのだと思います。高倉上皇がもう笛を吹く力もないのに横笛を吹くところが特に心にくるものがありました。
徳子を後白河の後宮に入れる話が持ち上がった場面で、徳子から「私の光る君」発言が出たのも、納得がいく展開でした。
それにしても「私の光る君」というと時子を連想します。思わず昔の夢見る時子ちゃんを思い出し、そして今の場面を観ると、時は流れたなとしみじみ思います。

突然歌会の場面になったのはびっくりしました。唐突な展開ですね。でも上西門院さまが見れて嬉しいです。
また堀河局がすっかり老けて登場したのもびっくりでした。この辺りの展開は唐突すぎて意図がわかりかねるところがありました。
でもこの場面を含めた物語の流れの中で、西行・清盛・(義朝の代理としての)頼朝の話が続けて出てくると、若い頃の三者三様の人生観が思い出されて、そしてそれぞれの思いは今も続いているように私は思いました。

鎌倉での楽しそうな都作りの場面、とても楽しそうで幸せそうなので、後の事を思うと悲しくなります。時の流れは残酷だとつくづく思います。

そして清盛と後白河の最後の双六の場面。私はなんとなく清盛が負けて後白河が相手を変えるのかと思っていました。平家が滅亡して源氏が残って、源氏と後白河が政治の駆け引きを続けるという実際の話を踏まえた展開を漠然と予想していたわけです。
ところが実際のドラマは逆でした。清盛が勝って清盛が相手を変えるんですね。もはや公家中心の朝廷や院はかつての力を持たない、まさに「武士の世」の到来をアピールしていたわけで。「双六」は個別の勢力の争いと言うより、実際の権力の移り変わりを象徴していたようです。
双六が終わった後で一人になった後白河の顔が、見捨てられて泣きべそかいてる子供のようで、観ている私もなんだかかわいそうな気分になりました。

最後の場面、清盛がまだまだ勝負はこれからだとばかりに剣を磨いていたのに、ここで病に倒れるという展開が、いつか来るとわかっていたけれど観ていてちょっと凹みました。ついに清盛の寿命がつきて、次が最終回。なんともさみしいです。

今年の大河ドラマは、今回の双六の場面のように、政治闘争の部分を具体的にではなく象徴的な表現を用いるのが特徴的ですね。そういう方法はある意味面白いですが、一方でリアリティを好む人からは敬遠されると思います。私自身、具体的な駆け引きメインのドラマを観たかったと思っていることは認めます。でも象徴的な表現を使って歴史の流れを描いたドラマを観るのも、それはそれで楽しかったです。私は、今年はそういう大河ドラマを見る年だった、と思ってます。
(ベタな権力闘争ドラマを観たかったら韓流大河みればいいじゃん、なんて言ってみたりして)

楽しかった平安時代のドラマも次回が最後です。NHKは最後にトンデモ演出してくることがあるから(義経の時の衝撃は忘れない)、最終回がほんとうに素直に感動できる代物になるか正直不安もありますが、それでも楽しみです。
なんとか感想間に合いました。ではまた。

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