『江の生涯』感想その二について追記

以前記事にした『江の生涯』感想の、その二において『徳川実紀』の記述を参照いたし
ました。和子が江の法要の際に贈った香銀についての記述です。
その記述を参照するにあたり、参照元の情報・引用が欠けていたので、以下に詳細を
書きます。

私が参照したのは、吉川弘文館から出版された新訂増補国史大系・新装版のシリーズの
『徳川実紀』です。
(白いハードカバーのものです。分厚くて足の上に落としたら絶対骨折れそうです。)
今回は出版元のみで、このシリーズで用いられている版の詳細については、また正月休み
明けに図書館で調べてきます。

さらに該当部分の引用を下記に記します。
まずは寛永十九年の十七回忌
上記シリーズの『徳川実紀』第三篇288ページ
大猷院殿御実紀巻五十一 寛永十九年九月十五日
 ・ 大宮より香資銀五十枚。家門。諸大名も詣て香火料を獻じ。乞丐に施行あり。

次は慶安元年の二十三回忌
同じく『徳川実紀』第三篇564ページ
大猷院殿御実紀巻七十二 慶安元年九月十五日
 ・ 女院。清泰院。千代姫御方。九條太閤幸家公政所。西本願寺門跡光圓。興正寺昭超。
一身田門跡堯圓より香銀を供せられ。家門并に諸大名よりも香銀を獻ず。

ちなみに『江の生涯』でも引用されている和子から届いた皇女誕生に関する進物について
『徳川実紀』でも記載されています。
同じく『徳川実紀』第二篇566ページ
大猷院殿御実紀巻廿一 寛永九年九月十日
 ・けふ 大宮より重陽并に皇女降誕の賀儀とて進らせられ物あり。

寛永十九年の「大宮」は寛永九年の下りでも確認できるように和子のことを指していると
思われます。また慶安元年の「女院」もこのとき女院は東福門院以外はいないと思いますし、
なによりこの当時の徳川家にとって「女院」といえば東福門院和子以外の人を指すことは
ないはずです。

なにぶん素人で記述の解釈を間違えているとまずいので、参考までに。

この記事へのコメント

2011年01月02日 23:52
詳細参考にさせていただきました。
早速、うちの和子の記事にも改めてリンクを張らせていただきました。

『徳川実紀』は参考にした資料をいろいろと書いてあり、便利ですね。原典にあたりやすいです。
2011年01月04日 12:59
紀伊様
 リンクのご連絡ありがとうございます。
『徳川実紀』は会社の近くの図書館にあるので、なにかと重宝してます。編纂物としてきちんとまとまっているので素人でも扱いやすいです。
「○○という書物に●●と書いてある」だけだと、後で私の記憶違いや解釈違いがあるかもしれないと気になるので、引用しておくと安心できますね。

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