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zoom RSS 聖学院大学の講演会

<<   作成日時 : 2012/10/13 23:41   >>

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先日、このような講座へ行ってきました。
聖学院大学人文学部日本文化学科 秋の講演会2012「清盛が目ざした国づくり」
http://kokucheese.com/event/index/50133/
http://seigakuin.d2.r-cms.jp/blog_detail/blog_id=1&id=718
講演者は『平清盛』の時代考証を担当されている本郷和人さんです。

平日でしたが無理やり休みを取って行ってまいりました。

聖学院大学は、住宅街と空き地と畑の間にぽつんと建っている郊外型の大学でした。片田舎に突然現れるキャンパスという印象です。
昔私が通っていた大学の風景を思い出して「田舎だなあ」とついつぶやいてしまいました。近くを通りかかったお兄さんに聞かれたかもしれません。このブログで書いたところで伝わるとは思えませんが、莫迦にしたわけではないんですと謝りたいです。

会場はチャペルとのことでしたが、外観はチャペルっていうより、いまどきの大学の建物以外の何物でもないと言う感じでした。

早く到着したので、まだその時は待っている人は少なかったです。やがて待つ人が増えてきたころ、突然本郷さんご本人が案内の人とともにあらわれました。私たちと同じ道を通ってやってきたので、ここには関係者口というものはないんだなと理解しましたが、一瞬「えっ、正面から入るの!?」と驚いてしまいました。

開始時間の少し前になって、突然開場になりました。一般の人と学生を分けて並ばせて、一般の人を先に入場させていましたね。学生さんはおとなしく待ってくれてましたよ。

チャペルの中は広かったです。1階だけでも200〜300人入れそうでした。しかも吹き抜けで2階もあるので、大人数の収容にはちょうどいい場所らしいです。
中には白木のベンチが並んでいるのですが、聖書が各座席に備えつけてあって、ほんとにチャペルだなあと感心しました。
入口から向って左に一般の人が座り、右に学生が座りました。学生のほうが多かったです。
一般の人は50〜60人くらいか、もう少しいたかも。年配の男性が多かったですね。
私の後ろにいた年配の男性2人が、講演中もなんやかやと話していてうるさかったので、まいりました。講演中くらいは私語を慎んでほしかったですね。

講演は司会の人の前置きや学科長のご挨拶、講演者の紹介があって驚きでした。ふつうに本郷さんの講演から始まると思っていたので。
講演者の紹介をした方は、本郷さんの案内をしていた人でもあり、以前は本郷さんの同僚だったとのこと。

講演内容としては
・勤務地である東大史料編纂所についての説明
・聖学院大学の印象
・奥様の話
・NHKでの時代考証の仕事について
・本業である大日本史料作成について
・AKBについて
が前置きとしてあり、その後清盛とその背景について、
・清盛の実像を知るための史料が少ないということ
・権門体制論と東国国家論の概略及び比較
・清盛を描いた画像及びゆかりの品について
・「幕府」について
・"源平合戦"の意味
・日宋貿易について
・経済面での各武家政権の比較
などを講演されていました。そのあとは質疑応答があり、終了になりました。
帰りは入場のときにもらったアンケートに記入をしました。受付のところで本郷さんの本を販売していましたが、市販の価格よりも少し安くなってました。せっかく来たので記念を兼ねて『謎とき平清盛』を買いました。

あとは講演の感想を。まとまりのない列挙になってしまいますが。

前置きとして大河絡みの与太話もありましたが、やはり学生さん相手の特別講義なので、途中からは概略とはいえ専門的な話をされてました。面白かったです。

権門体制論と東国国家論の概略について。二つの論の比較で言うと、権門体制論のほうが実際の社会制度の中での天皇の権威を重く見ていると思いました。例の「王家」騒動で、「王家」という用語が権門体制論からの由来であることを踏まえたうえで、提唱者の黒田俊雄さんに天皇をないがしろにする意図があったという意見がありましたが、東国国家論の比較で言えば権門体制論のほうが天皇の役割を重く見ているので、この意見は的外れだと思いました。歴史の中で天皇の役割を客観的に学問として語るための用語にすぎないと思います。
本郷さんは、自分は権門体制論を支持してないのにこの件で叩かれたと愚痴ってましたが、唯一息子さんがご自分の事を見直してくれたのがよかったそうです。

また権門体制論と東国国家論の比較の中で、論を支持している学界内の勢力(京大と東大)の対立構造をあおるような説明をしてましたが、それは少し違和感がありました。
そもそもこの二つの論にしても、相いれない異なる説の対立というより、単なる見方の違いにすぎないような印象も受けました。官職等の制度内の権威を重視すると権門体制論のほうが有効で、実際の土地分配や租庸調の流れを語るには東国国家論のほうが有効、みたいな感じ。これは門外漢の印象でこういう違いで当たっているかはあやしいですが、どちらかが正しいという話ではないと思いまして。
それを勢力争いみたいに話されるのは、なんだかもやもやしますね。学者さんのなわばり争いには興味ないわ〜って思います。

ただ東国国家論からの延長で、日本は常に一つではなかったという話は興味深かったです。日本が常に一つのまとまった国家として語ると、特に中世から戦国時代での現象を語るうえで説明しにくいことがあるのだろうと思いました。

貨幣経済が1226年〜1250年の四半世紀で急速に広まったという話について。きっかけは清盛が推進した日宋貿易によって銅銭が輸入されたからだそうです。ただ清盛が先を見越して輸入したわけではなく、船の重しとしての輸入が主だったそうですが。
それにしてもなんで貨幣経済が急に広まったんですかね。その辺りは説明がなかったのでわからないけれど。鎌倉幕府ができて京と鎌倉で物の行き来が活発になったからなんでしょうか。

武家政権の特徴として、清盛・足利義満と、頼朝・徳川家康とで分けて比較していました。概略としては当たっているのかもしれないですが、そういう根拠ってなんだろうとふと疑問に思いました。たとえば清盛・義満は経済が主で、頼朝・家康は農業が主と言ってましたが、具体的にどの辺りなんだろうかと気になりましたね。

前置きの話の中では、本職の、大日本史料の作成についての話は感嘆しました。ある年のある日の出来事についての文書の記述を漏らさず記録するというお仕事だそうです。今は建長二年を担当していて、建長二年1年分を終わらせるのに約10年かかるとか。単調ではあるけれど根気のいる作業でしかも莫大な年数がかかるわけで、ほんとに学問というのは大変だなと思いました。

大河絡みの与太話の中で、自分がエキストラで出演したことを話してました。どこで出るのか(出たのか)は教えてくれませんでしたが、馬から降りたところに駆けつける役だったらしいです。セリフはなかったそうですが、息を切らして走ってくる演技を要求され、それを何回もやらされたそうです。撮影は同じシーンをいろいろな構図で何回も撮りますからね。どこに出る(出た)のか気になりますね。

あと、大河ドラマは唐船で予算をほとんど使ったと言ってましたね。まあ大河が最初金をかけ過ぎて、後で安っぽくなるのはいつものことですが。

感想はこんなところですね。行ってきてよかったです。

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