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zoom RSS 『江の生涯を歩く』を読んだ後で、お江さんを思う〜その3

<<   作成日時 : 2011/09/05 02:42   >>

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なかなか書けないでいましたが、桐野作人著『江の生涯を歩く』を読んで思ったことを書く、第三弾です。ようやくこれで終わりです。

◆大奥
大奥法度についての説明でよくわからないところがあります。寛永3年6月26日に「秀忠三女の勝が家門の松平忠直に嫁ぐため」とありますが、勝が忠直に嫁いだのは慶長16年です。寛永3年6月26日にほんとうは何があったのでしょうか。
また江がよく「秀忠の執務室」(中奥のこと?)に来たとありますが、出典はなんでしょうか。『落穂集』ですかね。江の時代は大奥とそれ以外の境目が厳格でない話は前から聞いているので、出典と原文を知りたいんですよね。とても気になります。

◆家光と忠長
江が忠長を偏愛した話を紹介するのに『落穂集』を引用してます。『落穂集』って享保年間の成立でしょう。一次史料ではないのにもっともらしく引用されても…と思います。一次史料では確認できないとの但し書きはありますけど。

◆訓戒状
よく知られている家康から江への訓戒状について触れられています。引用しながらの紹介のあと、但し書きとして偽文書説があることを追記しています。
この訓戒状は、全文が小和田哲男さんの本に載っています。買ってませんが。たぶん『お江 戦国の姫から徳川の妻へ』だと思います。違っていたらすいません。ちょこっと立ち読み(…すいません)したところ、予想以上に長いというか、読み終わったら前の部分を忘れそうなくらい、だらだらした文です。訓戒状としては出来はよくないと思いました。
そして山本博文さんの本に、訓戒状を偽文書とする説が載ってました。これは『徳川幕府の礎を築いた夫婦 お江と秀忠』で間違いありません(この本も買えてません。立ち読みです。すみません)。いくつか根拠が載ってましたが、この文書を見つけた経緯が面白かったです。偽文書と言われてもしかたないだろうと思いました。
私はお江ファンという大きなバイアスを持ってる人なので、これ以上の詳細は書きません。ご自分の目で確かめるのが一番だと思います。

◆忠長が西の丸で鴨を撃った話
この逸話自体は江が忠長を偏愛した証拠にはならないと思います。この逸話でわかるのは、江は秀忠ほど上下のけじめに頓着してはいないが、秀忠の怒りに反抗してはいない、ということぐらいです。うっかりしているけれど逆らうほどではないようです。

◆子々姫
次女の子々姫の名前は、本人の署名によると禰々と書いていたらしいですね。珠に改名してはいなかったのでしょうか。

家光と忠長については、長くなりすぎてもはや感想ですらない状態になったので、別の記事にする予定です。そんなわけで省略。

第五章の「江ゆかりの人々の墓碑を訪ねて」は特に興味深いです。一度は行っておきたいところがいろいろとありました。

◆金戒光明寺
江と福と忠長の供養塔は気がついたけど、まさか忠長の供養塔のそばにお六の方の供養塔があるとは…! あの周りがごちゃごちゃしているところにもう一つそんなものがあるとは夢にも思わなかったですよ。また行かないとだめだわ。そして阿茶局も見に行きたいですね。

◆善正寺
二番目の夫・小吉秀勝の墓があるそうです。拝観謝絶ってそういうお寺もあるんですね。

◆伝通院
ここも一度行っておきたいんですけど、結構駅から遠いから、涼しくなってから行こうかな…。

◆家光の家康信仰
家光が家康を深く崇拝していたことについて、藤井さんの本を参考に三つ理由を挙げてますが、第二の後継者決定の件はなくても成立するような気がします。第三の理由の、自分に健康をもたらす神としての家康信仰が最大の理由だと思うんですよね。将軍の地位というのは人間が決めるものですが、健康というのは人間の力を超えたところから来るものですからね。第二の理由はあってもなくても成立しますが、第三の理由はないと信仰心が生まれないような気がします。
同様に、神になった祖父家康は崇拝の対象ですが、人間のままの父秀忠は供養はしても崇拝はする必要がないのだと思います。だから父親が嫌いとかそういうことはなかったと思います。

◆本圀寺
完子の供養塔がここにもあるらしいですね。そして小吉秀勝の供養塔も。いろいろなところにあるんですね。

◆誓願寺
私、ここに行ったことがあるかもしれない…。この近くに誠心院という和泉式部ゆかりのお寺があって、そこと境内がほとんどくっついているような状態だったような気がします。
ちなみに誠心院はアーケードに面していて、店の看板のように「誠心院」という看板があったのを覚えてます。妙に不思議な光景でした。

福田千鶴さんの『江の生涯』を読んだときに思った不安が、まさにこの本の中に現れている、と思いました。福田さんの説は家光らの江の実子説を否定しつつ、江の嫉妬深さと偏愛も否定しているのですが、この本では前者は取り上げても後者は取り上げてくれません。やっぱり世の中ってそうなのよね、と思ってがっかりしています。

最後のほうはとりとめのない感想になってしまいました。すいません。以上です。

実は今年の初め頃にいろいろと購入した本があります。いつか感想を書こうと思ってのびのびになっています。今回をきっかけにまた感想が書けたらいいなと思っております。

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コメント(4件)

内 容 ニックネーム/日時
あまのかるも様
勝姫が大奥を出て、高田屋敷に移るに際し、屋敷条目九ヶ条が出されたのが、寛永三年六月二十六日(東武実録)ですよね。
ここの辺りは、桐野さん間違えたな…、と軽く流しておきましょう(笑)


武江
2011/09/05 21:10
お久しぶりでございます。
来週、15日〜18日に崇源院お江ゆかりの最勝院が最勝院展ということで公開なさるそうですのでお伝えします。
ダイナゴン
2011/09/11 11:06
武江さま

こんにちは。寛永三年六月二十六日の出来事について教えてくださってありがとうございます! 武江さん、さすがですね。出典情報もあってありがたいです。江戸城に戻ってきていた勝姫が、また城を出た日なんですね。正しい内容がわかってすっきりしました。
これについては間違い指摘なんてとんでもなくて、単純に知りたいと思っただけです(笑)。
あまのかるも
2011/09/11 12:04
ダイナゴンさま

お久しぶりです。
最勝院展について知らせてくださいましてありがとうございます! さっそく予定をいれました。感謝です。
あまのかるも
2011/09/11 12:07

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