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zoom RSS 長丸の死とお灸について

<<   作成日時 : 2011/09/26 00:07   >>

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今回の大河はまだちゃんと見てないのでわかりませんが、長丸はどうなったんでしょうか。
(まさか亡くなったことに言及してない…なんてことはないですよね?)
その長丸について一つ語りたいことがあるので書こうと思います。
前回の大河で長丸が登場しましたし、語るのにちょうどいい時期と思います。

去年ぐらいから、江についてネット検索をしていますのですが、そのときによく見かける江についての俗説がいくつかあります。
その一つに「江が長丸に灸をすえて殺した」というのがあるのです。ご存じない方もいるとは思いますが。
初めてこの説を見たときはとてもびっくりしましたが、結論を言いますとそれは違います。この説は勘違いもいいところです。
以下はこの説に対する反論です。

お灸云々についての出典は『幕府祚胤伝』だと思います。少なくとも私はこれしか知りません。他にもあるのでしょうか。
『幕府祚胤伝』は以前もリンクを貼ったことがありますが、Googleブックスで見ることができます。
http://books.google.co.jp/books?id=DZwuduJ19PUC&printsec=frontcover#v=onepage&q=%E9%95%B7%E4%B8%B8&f=false
ここの「長丸君」の項の注部分ですね。
 同七年壬寅九月廿五日、御早世、被当御灸
該当の書き下し文は「御灸を当てらる」です。「お灸を当てられた」ということですね。
この文が拡大解釈されたのが上記の説でしょう。日本語の受身表現には、主語に悪影響を与えることを示唆する迷惑の受身という表現もあるけども、これはふつうの単純な受身です。単に、長丸が誰かにお灸を当てたのではなく、誰かが長丸にお灸を当てたことを示しているわけですね。
そして何が勘違いかというと、お灸は体罰だと思ってしまっていることです。いじめか何かのためにお灸をすえたと思っているのでしょうが、それは間違いです。

この当時のお灸は純粋に治療行為です。具合が悪いとお灸をすえて直そうとするのです。

山本博文さんの『江戸城の宮廷政治』だったか藤井讓治さんの『徳川家光』だったか忘れましたが(この二冊は同時期に読んだので記憶がごっちゃになってます)、秀忠も家光も具合が悪くなるたびにお灸を当てていることが書かれています。しかも本の紹介では、お灸を当てるとなぜか悪化することが多かったです。お灸をすえて血行が良くなって具合がよくなることもあるでしょうが、かえって悪くなることもあるだろうと思います。痛みの症状なんて冷やしたほうがいいときもあるでしょうし。あっためて血行をよくしても具合が良くなるとは限らないと、現代人なら思うでしょうが、昔の人はそうではなかったようです。秀忠も家光も、懲りずにお灸をすえて直そうとしています。
また豊臣秀吉が茶々に対して、鶴松か拾か忘れましたが、まだ赤ん坊の息子に「灸は当てないように」と手紙を書いているのもあります。秀吉は乳児に灸は当ててほしくないようですが、わざわざ書くということは逆に言うと注意しなかったら、乳児にでも灸を当ててしまうのでしょう。幼児だろうが乳児だろうが具合が悪くなれば"治療行為"として灸をすえてしまうのが、この当時の人々なのだろうと思います。
そういう理由で長丸にも灸を当てたのでしょう。だから『幕府祚胤伝』は「治療の甲斐もなく早世してしまわれた」ということを書きたかったのだと思います。

もし公式の記録に「殺害方法」が載っていたら、殺害されたことが皆に周知の事実ということです。そして犯人が江だというなら、それらしいことも書いてあるはずです。もし直接は書けないような内容なら、こんなさっぱりした文ではなく、もっと意味ありげな文で残っているに違いありません。
そして江が犯人であることがある程度知られていたら、秀忠がそのままにしておくとは思えないです。良くてどこかに幽閉軟禁、悪かったら処刑とか、あるいは謎の死をとげるのでしょう。息子でさえ最後まで許そうとしなかった人ですよ。悪いことをした妻を罰するのに遠慮をする人とはとうてい思えません。

それから増上寺におけるお墓の位置ですが、かつては江の宝塔と長丸の宝塔は隣り合っていました。江の墓所を建てるのを最初に差配したのは忠長らしいです。いま鎌倉・建長寺に現存している元の江の御霊屋は忠長が作らせたものです。通説で江に偏愛されたという忠長が、母が嫌っていたらしい子供のそばに母の墓を建てるなんて変じゃないですか。たいがい江の悪女伝説はセットで唱えられてますから、偏愛説と長丸殺し犯人説は同時に主張されます。矛盾しますよね。

ちなみにお灸をすえることが体罰の意味にもなったのは、たぶん江戸中期以降、蘭学の影響もあって、医学がある程度発達してからでしょう。お灸をすえれば直るというものではない、ということがわかってきてからなのではないでしょうか。この辺は私の推測ですが。

反論は以上です。
とても真面目な調子で「長丸は江が殺した」みたいなことを書いてあるのを見つけると、がっくりきます。真実だと信じきって嘘を言いふらすのは勘弁してほしいと思います。その場で反論書き込みができない自分も小心者だとは思いますが、いちいち言うのも大人気ないんで。
かえってこの記事がこの変な説を広めることになったら立つ瀬ないですが、長丸でググると上位にこの変な説があがってくるので、否定する記事は必要な気がします。この記事で一人でも多くの人がこの説の間違いに気づいてくれたらと思ってupさせていただきます。

ちなみに現代でもお灸は治療行為です。昔ほど万能に使われていないだけです。ウィキペディアによると、お灸をすえるという言い回しを罰という意味で使うのはやめてほしいと、お灸の協会だか団体だかが訴えて、最近はそういう言い回しは使われなくなったそうです。

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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
福田さんの『江の生涯』にも長丸は取り上げられます。公家や僧侶の日記を引用して、長丸が死んで家康が落胆したとあります。仮に庶子だとしても、名前を秀忠の幼名である長丸にしていることだし、秀忠(家康)の期待は相当高かったと思います。あと秋徳院(長丸)の位牌は増上寺の安国殿に祀られていたと思います。
じょうよ
2011/09/26 03:30
じょうよさま
こんにちは。
言われてみれば『江の生涯』に長丸が亡くなったときの日記が引用されてましたね。思い出しました。なにか事件性のあるような書き方ではなかったですね。庶子といえども秀忠の跡継ぎになるかもしれなかったし、おかしな亡くなり方をしたらそれなりの問題になるはずですね。
安国殿は本殿の向かって右にある新しい建物ですよね。秋徳院の位牌は見えるところにあるのでしょうか。また増上寺にお参りに行く機会があったら気にして見てみます。
あまのかるも
2011/09/29 23:20

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