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zoom RSS 徳川実紀の底本情報と秀忠の幼名についての宿題

<<   作成日時 : 2011/02/04 00:02   >>

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昨年書いた記事で、後で調べると言っていたことへの解答が宿題として残ってました。
今日その解答を書くことにいたします。

まず徳川実紀の底本についてです。
吉川弘文館の新訂増補国史大系・新装版に含まれる徳川実紀は、元は昭和4年に出版されたもののようです。その凡例に書かれたことを、私なりにまとめました。気になる方は図書館等でお確かめください。

・徳川実紀は家康〜家治までの江戸幕府の将軍について書かれている。
・林衡の下で成島司直が編纂したもので、文化六年(1809年)に稿を起こし、嘉永二年(1849年)に完成した。
・この前に作られた旧輯続国史大系には、紅葉山文庫に含まれていた貴族院図書室所蔵本を元としていたが、関東大震災で原本は焼失した。
・内閣文庫(浅草文庫の蔵印あり)に所蔵されていた本と徳川家達家に所蔵されていた本を用いて校訂した。前者は内閣文庫本、後者は徳川公爵家本と呼ぶ。
・内閣文庫本は引用書を本文に載せていない。これは将軍に献呈された正本。貴族院図書室本は将軍に献呈された副本だった。
・徳川公爵家本は最後の稿本で加筆修正が多く、引用書も記入されている。
・なくなった貴族院図書室所蔵本・旧輯続国史大系版を底本にして、あきらかに間違っているものは徳川公爵家本で訂正した。判断できないものは内閣文庫本・徳川公爵家本との異同や校訂者による注を加えて、底本のままにした。

だそうです。あとは原本の表記をこういうふうに表記した等の説明もありましたが割愛します。文語体・旧漢字で書いてあるので読むのがむずかしいです……。

しかし余談ですがほんとにいろいろなものが燃えてなくなってますね。明暦の大火で燃えて、その他江戸時代のもろもろの火事で燃えて、上野戦争で燃えて、関東大震災で燃えて、空襲で燃えて、たくさんのものが焼失しています。江のゆかりのものも燃えてなくなったものがたくさんあるんですよね。太田浩司さんもきっと特別展のためにいろいろ調べたのでしょうけど、結局あんまり残ってなかったのでしょう。記録はあるけど残ってない、記録はあるけど燃えた、こんなんばかりだったに違いないです。
そういえば明暦の大火と言うと思い出すことがあります。埼玉県立歴史と民俗の博物館の企画展で明正天皇と徳川家光の展示があったそうで、その図録に記載されていた学芸員のコメントです。なんでも酒井忠勝が家光から拝領した品はたくさん残っているのに、松平信綱のはぜんぜん残ってないんだそうです。明暦の大火でほとんど焼けてしまったそうです。酒井忠勝も深谷藩主や川越藩主だったことはあるんですけど、やっぱり埼玉県民的には川越といえば知恵伊豆こと松平信綱ということで展示したかったんでしょうね。そういうわけで学芸員さんの嘆きのコメントが印象に残ってます。

話を元に戻して、今度は秀忠の幼名についてです。
最近読んだ本に秀忠の幼名が長丸に類するものだったことが書いてあるのを見た、と書いたわけなんですが、それがなんだったのかわかりました。
ネットにある『幕府祚胤伝』でした。
そして結論を言ってしまうと、福田千鶴さんが『江の生涯』で引用した『多聞院日記』の箇所と同じ部分をそのまま引用していました。『家忠日記』じゃなかったです……。(『家忠日記』は秀忠については「若君様」)
ごめんなさい。記憶で書いたばっかりに……。今度から気をつけます。

という感じで宿題の解答は以上であります。
特に後のはあっさり簡単に終わってしまい、申し訳ないという気持ちになります。

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