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zoom RSS 徳川忠長の乳母

<<   作成日時 : 2011/01/09 12:47   >>

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大河の主人公になったのをきっかけにして、お江について調べていますが、調べている
うちにとても驚いたことがあります。
徳川忠長の乳母の存在が研究者の間ですら知られていないことです。
『徳川家光』の藤井さんも、『江の生涯』の福田さんも、本の中では知っているようには
思えませんでした。
私はかなり前から知っていたので、当然歴史に詳しい人々には知られているものと思って
いましたが、研究者すら知らない状況に唖然呆然です……。
そこで改めて「徳川忠長の乳母」についてご紹介したいと思います。

徳川忠長の乳母は、土井利昌の娘、清(きよ)であるといわれています。
土井利勝の姉妹(通常は妹とされている)で、忠長の付家老の朝倉宣正の妻です。
ただし土井利勝は、水野信元または徳川家康のご落胤説が伝わっているので、血が
つながっていない可能性もあります。

この清について伝承が残されているのは、東京・本郷にある昌清寺です。
忠長自刃後、正室(織田信良の娘、信長の次男信雄の孫)が、乳母の清をこの寺の開基と
することで夫の菩提を弔わせたそうです。
ここのお寺はHPを持ってないようですので、下記のサイトにて詳細はご確認ください。
http://www.honkane.com/shoseiji.html
http://www.e-sougi.jp/shikijyou-annai/saijyou/kubetsu-folder/bunkyouku%20/syouseiji/tokugawa.html
http://www.e-ishiya.com/tera/bunkyou/bunkyou/hongou/syouseiji/syouseiji.html

私がこのことを知ったのは、雑誌の『歴史読本』だか『歴史と旅』かで掲載されていた、
永井路子さんか誰かが昌清寺と清の墓について書いた記事です。
十年以上、二十年近く前のことです。だからふつうに研究者も知っている話と思って
いたんですけどね……。
昔の記憶なのではっきりしたことが書けなくて申し訳ないです。

最近も昌清寺について詳細が書かれた雑誌か本を見かけました。住職の方のお話も載って
いたと思います。書店で見かけたときに買っておけばよかったのですが、その場では
買わないでいたら、いつの間にか店頭からなくなってしまいました。
もしその書籍について情報お持ちの方は教えてください。
ちなみにその本には、取材を受けてご住職が正室の位牌と忠長の位牌を並べた、という話が
載ってました。

なぜ上記の本の情報を求めているのかというと、今だに研究者でも知られていない理由
らしいことについて言及されていたからです。
どうも寺の伝承による清の父・夫の名と、『寛政重修諸家譜』で確認できる該当の女性の
系図が違うらしいのです。父が土井家で、夫が朝倉家の人物であることは共通している
のですが。
ただ、江戸は一度明暦の大火でいろいろなものが焼けてしまってます。その後も火事は
多く発生してますから、伝承の齟齬があるのはしかたないような気がします。
それに、あえて忠長の乳母が開基であることを積極的に詐称する寺なんて存在しないと思う
のですね。徳川忠長は幕府からおとがめを受け、幕府がなくなった明治以降も特に判官びいき
されることのない人物ですから。事実だからそういう伝承が残っていると思います。
それに付家老の妻がその主君の乳母という、いかにもありそうな話を、あえて疑うのも
おかしな話です。
ちなみに私は『寛政重修諸家譜』を読んでいるわけではないので、清の生年は不明です。
ですので上記の説明でも念のため、土井利勝の妹と"されている"と書きました。
単純に土井利勝と朝倉宣正の関係であれば、複数の研究者が「土井利勝の妹が朝倉宣正の
妻」と書いているので実際は間違いないはずです。

私の知っている情報は以上です。

ところで忠長に乳母がいないと思われている件ですが。
そもそも貴人の子息に乳母がいないという発想自体が間違ってると思います。だから本来、
こんなことで、わざわざこんなふうにもったいぶった記事にする必要もないはずです。
なのに「忠長は江が育てた」みたいな説明が、研究者の中ですらまかり通るのが不思議で
しかたないです。
以前は江の偏愛について「春日局が明智光秀の重臣の娘で、江は光秀に討たれた織田信長の
姪だから」という説明がされてました。しかし「江の父親の浅井長政が織田信長に滅ぼされて
いるのに、そんなこと思うわけがない」という反論もあった結果、ここ数年は「春日局に
竹千代を奪われたので、国松を手元で育てて溺愛した」という説明に変わってきたように
思います。
でもそれって、あまりにも現代的な観点からの解釈としか思えないです。
むしろ当時の女性は、乳母なしで子供を育てたら身分の低い証としてがっかりしたと思います。
たしか『とはずがたり』だったかな、身分の高い女性が不義の子を隠れて出産したために
乳母なしで育てるはめになって「こんな育てられ方をするこの子がかわいそう」みたいな
感想をいう場面がありましたが、戦国時代も江戸時代も、この発想は変わらないのではと
思います。
実際には身分の高い女性でも乳を含ませることはあったかもしれません。乳が張って辛く
なるという生理現象は今も昔も変わらないですから。しかし、だからといって、乳母をつけない、
ということにはならないと思います。

思えば、今の皇后の美智子様が今の皇太子殿下を、乳母をつけず自分で育てるということに対し、
「なんだって!?」と保守的な人々から由々しき自体と思われたのはたかだか50年前です。
その50年の間に、身分差が生む感覚について、歴史に興味のある人々ですらわからなく
なってきているということに、改めて過去の世界観や当時の人の価値観を知るむずかしさを
感じます。

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コメント(4件)

内 容 ニックネーム/日時
初めまして。秋草と申します。
あまのかるもさんのブログは「江の生涯」の感想ではじめて拝読しました。
私も福田さんの提唱する江の子供たちの論説にあまり納得できていなかったので、同じように考える人もいるのだとうれしく思いました。

忠長の乳母の存在はどうして無視されてしまうのでしょうか。
私も忠長の乳母の詳しいことは最近知ったばかりなのですが、存在は前から知っていました。しかし、歴史家さんの方たちが知らないのはどうしてでしょう。謎です。今年の大河ドラマの時代考証をされている小和田哲男さんもどうやらご存じないようです。(だから「江」には忠長の乳母は登場しないのでしょうか。)
江が忠長を自分の乳で育てた、という話になっていったのには、茶々が秀頼を自分の乳で育てたという話と混同してしまったという可能性もあるのでしょうか。(しかし、私がかつて読んだ、小督(小説ではこうなっています)が主人公の歴史小説、「美女いくさ」の中では、茶々も秀頼に乳を与えていましたが、その他にも多くの乳母が側に控えている、という描写になっていました。「江」では茶々だけが与えていましたね。)

一説には、春日局と連携していたため、江がいやがった、というのもあるそうなのですがあり得ないですよね。

長々とお邪魔しました。このあたりで失礼します。
秋草
2011/08/10 19:26
秋草様

こちらこそ初めまして。『江の生涯』に対する、江ファンのただの文句たれを読んでくださってありがとうございます。福田さんの説は全体的に粗いと思います。素人が指摘するのはおこがましいけど、でも物言いをつけたいところが色々ありましたから。もう少し慎重に検証してほしかったですね。

忠長の乳母について多くの歴史家が知らないのは、おそらく歴史研究が深まるとともに細分化されてしまって、自分の専門分野以外をカバーするのが難しくなってしまったからじゃないかと思います。ある対象を既に調べた人々の間ではよく知られていても、調べたことがない人々はまったく知らない史料とかあるんでしょう。見なければならない史料はきっと膨大な量でしょうから。でも、茶々の研究家や、浅井氏の研究家や、家光の研究家が江の次男の乳母の存在を知らないというのは、素人的には信じられないですよね。

茶々が秀頼に乳を与えていても、だから秀頼に乳母がいない、という話にはならないと思います。実際は秀頼には乳母がいるとされていますから。それと同様に江が忠長に乳を与えていようといまいと、忠長に乳母がいないということにはならないはずなんですけど、そう言われないですね。最近の説は、小説家や歴史家の推測にさらに推測を重ねて作られたようなのが多くて、何が本当で、何が作り話なのかわかりにくいです。

>春日局と連携していたため、江がいやがった
誰の説なんでしょうか。譜代の臣の娘を乳母にするのが嫌だと言ってやめさせることができるなら、お福さんも嫌なんだからやめさせたらいいじゃん、と思います。なんか矛盾してる説ですね。

私も語りだすと長くなりますので、コメントが長くても気にしないでください。
あまのかるも
2011/08/12 01:15
ありがとうございます。

それにしても、乳母がいない、ということは、本人にとって不名誉なことだったんですね。そんな不名誉なことが、徳川将軍家の次男である、忠長にあてはまることなどないと思ってしまうのですが・・・。
もしかしたら、徳川家がながした讒言だったかもしれないですね。忠長の非行について、当時の江戸城に多くの情報が届けられましたが、それらの多くが徳川家が創作したものだった、といいます。やはり、忠長の自害は当時の人々にとって不可解なものだったんだと思います。そのため、自刃した理由として、忠長の育ちの悪さ、非行を作り上げたのかもしれません。しかし、乳母をつけなかったというと、徳川家側の育児体勢が問題視されるため、江が自分の乳で育てたいと願い出たというふうにしてしまったのかもしれません。(しかし、それを許した徳川家もどうなのよ、と言わざるを得ませんが)。

スミマセン、私の勝手な想像を語ってしまいました。

しかし、乳母がいない、ということがそれ程の不名誉ならば、忠長を溺愛した江がそんなことをさせないはずです。自分の乳で育てるのではなく、然るべき乳母を江自らが選び出して、忠長を育てさせるということの方が、江の忠長への愛情を一番よく示せると思います。
秋草
2011/08/12 15:25
秋草様

昔は、乳母がいないというのは、その人の育ちが悪い、生まれが卑しいとみなされたでしょうし、それなりの身分の人にとっては不名誉なことだったと私も思います。忠長に乳母がいないというのは私も考えにくいです。
忠長の悪評の中には、当然、流言飛語の類も混じっていると思います。何か不祥事があるとあることないこと言われるのが常ですし。
忠長の自刃が当時の人々にとっても不可解であったら、憶測でもっともらしい理由がまことしやかに語られることも可能性として十分あると思います。
ただ、江が忠長を自分の乳で育てた説は、私は、最近になって広まった現代人の推測だと思ってます。私が昔お江さんのことをちょこっと調べていたときは、そんな説は聞いたことなかったですから。
もし江が忠長を溺愛していたら、然るべき乳母をつけていただろうというのは、私もそう思います。自分自身で育てるというのは現代の発想だろうと思っています。

私も偉そうなこと言ってますが、実際は歴史に詳しいわけではなく、過去の事柄については、イメージで語っているところがあります。私のほうこそ勝手な想像、個人的主観で長々語っていますので、気にしないでください。想像と事実を混同して話すのでなければ、特に問題はないと思います。そういう意味では最近、その辺りをごっちゃにしている人が多くて、なんだかなと思いますね。
あまのかるも
2011/08/12 23:47

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