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zoom RSS お江が書いた書状

<<   作成日時 : 2010/11/20 15:34   >>

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お江は、姉二人と比べると言い伝えとか遺品とかが少ないような気がする。
でも数少ない中にお江の残した文があるのは、かなり前から知っていた。
今回はそれについて書きたいと思う。わけあって情報を得た経緯を時系列に
書くので、だらだらと長くなるが、もしよろしければお付き合い願いたい。

初めてお江の文があることを知ったのは角田文衛著『日本の女性名』を読んだときだ。
原文が、実物の写真じゃなくて活字になって載っている。
岐阜市佐野の栄昌院に、二通あるうちの一通の原文である。どちらもお初宛の書状らしい。
栄昌院というのは、明治になって小浜市にある常高寺の尼さんが岐阜に移って
建てた寺らしい。それで初の遺品が残っていたようだ。
『日本の女性名』では、文ではなく署名を示すために引用されているので現代語訳は
ついていない。
そのため、「将軍」がどこかへ行ってめでたい、みたいなことを書いていることしか
わからなかった。
しかも「めでたく」と言う言葉を何回も繰り返しているので、なにがめでたいんだろう、
お江さんの頭の中のほうがめでたいんじゃないかしら、とか失礼なことを思っていた。
だから、私の史実のお江さんのイメージが天然ボケになってしまった。

ところが最近某巨大掲示板に、そのお江の文について大雑把な現代語訳付きで情報が
書き込まれた。
それによると、前田(とし)子著『近世女人の書』(淡交社)に実物の写真付きで載っている
そうだ。(「とし」は言べんに央)
大雑把な現代語訳は『近世女人の書』p32の引き写しで、但し()内は某所に書き込んだ
人の追記である。私の下手な訳よりわかりやすいので某所の書き込みのまま載せる。

「今日は将軍(家光)が北の丸(忠長邸)へ御成りになるめでたい日ですが、
幸い天気も良くひとしお嬉しゅうございます。
大御所(秀忠)へもお手紙のよし申し伝えます。
また祝儀としてお魚をいただきました。めでたいことです。」

まずこの訳を読んだ私の感想を。
(※私は、家光と忠長の後継者争いは後世の創作と信じている人間である)

何がめでたいのか、やっと腑に落ちた感じ。饗応する側もされる側も自分の息子って
ある意味すごいよねー。そういう立場の人って(自分の夫を除くと)自分ひとりだけ
じゃない。片や将軍、片や大大名で二人の息子がそろい踏み。
ほんと自慢の二人の息子よねー。

私の感想を読んだ人、すごい違和感感じたんじゃないだろうか。実は私自身も思った直後
違和感を感じた。「自慢の二人の息子」という言葉に。
後継者争いを信じていない私でさえ違和感を感じたんだから、通説の影響力というのは
恐ろしいですな。
でもね、ほんとうにお江の文は嬉しそうなんだよね。
原文をネットに引用していいものかわからないので、各自で確認してほしいけど。
この本の著者みたいに、忠長邸へ御成りになったことを喜んでいると解釈することも
できるけど、でも御成りって他の大名にもあることで、それ自体は名誉なことだけど、
今更大御台様が喜ぶようなことかと。
やっぱり二人そろっているから嬉しいのではないだろうか。
それに少なくともこの時点では、お江は、家光に代えて忠長を将軍に、とは露ほども
思っていないと思う。
もしそう思っていたら、別に家光が忠長邸へ御成りなんてめでたくないでしょう。
立場が固まっちゃってるんだから。

そんなことを思いつつ、図書館で『近世女人の書』を借りてきた。
戦国末期から幕末までの女性が書いた書を紹介している本だった。
江だけでなく姉の茶々・初、北政所、細川ガラシャ、東福門院和子の書状も載っている。
(茶々の文は侍女の代筆の可能性もある知善院の文書)

お江さんの文は散らし書きという書き方で書いてあった。
まず大きな字で紙の初めから終わりまで書いた後、初めに戻って、空いているところに
小さな字で書くという、とても読みにくい書き方である。
ただでさえ古文書なんて読めないのに、そんなわけのわからない書き方があるとは
しらなかった。昔の人はよく他人の文が読めたな、と感心する。

お江の字について私の感想は、生き生きとして、のびのびとした字だな、と思った。
著者は「激しさ」とか「しんが強く、堂々とし、自信にみちみちていた」と書いている。
後者はなんとなくうなずけるけど、激しいのかな、とは思う。
激しさというと私はもっと荒っぽいのを連想するので、その感想はしっくりこない。

なお栄昌院の文書について他にも情報があり、お江のもう一通の文は、
「和子の初産の祝いに、常高院が侍女をよこした礼状」で
「生まれた姫(のちの明正天皇)に一緒に会いに行く約束をした」そうだ。
そんな簡単に京へ行けるのかわからないけど、ただの手紙だけの約束じゃなくて
実際に会いに行くことができていたらいいなと思う。
また他にも初宛に、忠長、徳川義直(尾張家初代)、秀頼の書状もあるそうだ。
なんで尾張の義直さんからお初さんが文をもらったのかちょっと気になる。

お江だけでなく、色々な女性の書いた文を見ることができたので、『近世女人の書』を
借りれてよかった。興味がある方は一度読んでみるといいと思う。

そしてこの本について教えてくれた某所の名無しさんに感謝したい。
(ここでお礼を言っても意味ないけど、気持ちだけ)
おかげでお江さんの文を見ることができてよかった。

他にもお江が関わる書状がどこかに残っていたらいいけど、たぶんないだろうなあ。

追記:この本で内容のみ紹介されているもう一通の内容に関して、会いにいく約束を
したのは「生まれた姫(のちの明正天皇)」としていますが、福田千鶴著『江の生涯』
および江戸東京博物館で開催の大河ドラマ特別展では、四女初姫としています。
姫(「おひもじ」)が「下り」と書いているので、江戸へ下向すると読め、京に上る・上洛するとは
書いてないので、初姫と会うという解釈が妥当と思われます。

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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
こんばんは。秋草です。
お久しぶりです。「江」の最終回のコメントをしようと思っていましたが、時間がなくてそのままになってしまいました。「平清盛」の予告編を楽しみにしてたのですが、録画の残量が少なかったようで、「江」が終わった途端に切れてしまいまい、ショックでがっかりでした。

先日、今月の『歴史読本』を読んでいたところ、江の手紙二通が丸亀資料館で発見されたらしく、驚きました。二通とも娘の初に宛てたもので、一通の手紙には初に小袖を送ったことを伝えるものらしく、『江の生涯』に記載された雁金屋注文書に元和二年に初のために小袖を注文しているので、もしかしたらそれかもしれない、と私は思ってます。
江の直筆かどうかを裏付ける根拠はまだ不十分だそうですが、発見されたことはうれしいです。しかし、こうして江の手紙かどうか慎重になっているのに対して、先日発見されたお市の手紙は自筆だと断定しているのは、どうなのだろう、と思ってしまいます。二通なりとも残っている江の手紙よりも、全く発見されていなかったお市の手紙の方がより慎重になるべきなのでは・・・、と思います。
秋草
2011/12/10 17:43
秋草さま

こんにちは。お久しぶりです。
「平清盛」の予告が見れなかったのですか。それは残念でしたね。でもこれから正月にかけてNHKでやると思いますよ。
江の発見された二通の書状、ネットのニュースで見ました。
http://www.shikoku-np.co.jp/kagawa_news/culture/20111010000142
http://www.sanspo.com/shakai/news/111014/sha1110141814017-n1.htm
歴史読本にも載ったのですね。今度確認してみます。ありがとうございます。
江の直筆かどうかはわかりませんが、でも栄昌院の書状の筆跡と見た目は似ているような気がしなくもないです。栄昌院の書状も江直筆かどうかの確証があるかどうかはわかりませんが。
お市の方の書状の件もネットのニュースで見ました。あれはどうなんでしょうね。ニュースで見た感じ、個人的には、市と断定するには早計と思いました。あれは古文書売買の出品物らしいですから、学術的な正確さより注目を集めることを目的にしているように思います。
あまのかるも
2011/12/11 13:35

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