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zoom RSS 氷川神社について調べたこと

<<   作成日時 : 2010/09/01 14:22   >>

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大河ドラマの話ばっかりなのでここらで違う話題を
大宮の氷川神社について、ぼちぼち調べております。
もう少しきちんと調べてからまとめを書いたほうがいいのですが、
今は時間だけはたっぷりあるので、心覚え的に、軽くまとめようと思い立ちました

まず、基本情報はウィキペディアで。すいません。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B0%B7%E5%B7%9D%E7%A5%9E%E7%A4%BE

一応読んだのは、『大宮市史』とか、菱沼勇著『武蔵の古社』とか、
さきたま文庫の『氷川神社』『氷川女体神社』
他にも図書館でいろいろ立ち読みしましたが、書名忘れ。

氷川神社の祭神は延喜式当時は一座だったのが、中世頃までには三座になり
戦国時代末期に四座、そして江戸時代中頃に三座に戻り、という流れだそうです。
三座は、やしろの名・祭神・社家がそれぞれ下記のとおりでした。
男体社・スサノオノミコト・岩井家、
女体社・クシナダヒメ・角井家(東角井家)、
簸王子社・オオナムチノミコト・内倉家のち角井家(西角井家)
そして四座だったときのもう一つは?というと、門客人神社だったそうです。
かつてはアラハバキの神を祭っていたといいます
そして社家は、近くの寿能城城主・潮田資忠の家臣だった金杉某とその子孫とのこと。
この金杉家は一時氷川神社で結構な権勢を誇ったらしい。
何度か改姓して最終的には氷川家を名乗ったとか。
しかしその権勢も長く続かず、追放され、門客人神社も摂社に格下げになったそうです

各地の氷川神社で門客人神社を摂社・末社として持っているところが多いらしいですが
私は、それは江戸時代初期の金杉家の威勢によるのでは、と根拠はないものの推測してます。
アラハバキの神についていろいろ説があるようですが、関東で特に氷川神社に祭られているのが
目立つのは、古代とは関係なく江戸時代に由来するのではなかろうか、と考えてます

もともとの一座はなんなのか、については、『武蔵の古社』で菱沼氏も書いているとおり
そのまま「氷川神」だったのでしょう。今境内にある池を含む水の神を祭ったわけですね
ただし「ヒ」は氷、「カハ」は泉・池という語源についての菱沼氏の説は判断できかねますが。
のちに大和政権の支配が及んだ時点で中央で奉じる神を当てはめたとのことです
たしか『大宮市史』だったと思いますが、スサノオノミコトと言っている書物が多いが
イザナギノミコトと言っている書物もあるらしいです。
ちなみに出雲からの勧請説は、郷土史の資料では否定的なのが多かったですね
上代特殊仮名遣では氷は甲類、簸は乙類らしいんで、その意味でも出雲からの勧請説は
支持しにくいですね。古代出雲族もたぶんいなかったんでしょう。

ウィキペディアにも紹介されている大宮氷川神社、中山神社、氷川女体神社が直線状に
並んで一つの氷川神社とみなす、という説は私はあまり支持できません。
そもそもいわゆる「レイライン」を信じてないので。
あれはどこかとどこかを結ぶ道があって初めて語ることのできるものであって、地図に
定規で線をひっぱって一直線上だと言ってても意味ないと思います。
ただこの三社はかつて見沼を船で行けば行き来ができたので100%否定はできませんが…。
なお氷川女体神社が「氷川」を名乗り始めたのは江戸時代からで、それまでは女体宮とか
女体権現と呼ばれていたそうなので、その辺も三社で一つの神社説は否定的な見方に
ならざるをえないです

他にも西角井家の系図や江戸時代の三社家の歴史とか興味はありますが、それはまた後日

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